フランスサッカーでは黒人による革命が今も起きている! | 真面目に遊んで生きてくレシピ

フランスサッカーでは黒人による革命が今も起きている!

フランス革命

1982年、エメ・ジャケの革命によって、フランス代表は実に34年ぶりにワールドカップで3位の成績を収めました。

それから16年後の1998年、自国開催のワールドカップにおいて、フランス代表は初めてワールドカップを掲げることになります。

エメ・ジャケの改革がようやく実を結び、フランス代表はそこからサッカー強豪国としての立場を確立していくことになるのです。

そして、その革命の核となったのは「黒人」の存在です。

なぜなら、サッカー強豪国として名をはせる現在のフランスサッカーにおいて、黒人は欠かすことのできない大切な要素となっているのです。

そこで今回は、フランスサッカーに大きく関わっている「黒人」というキーワードをもとに、フランスサッカーの特徴を深く掘り下げてお伝えします。

キーワードは「多人種の融合」です。

この記事を読むことで、フランスサッカーについてだけではなく、フランスという国がどんな文化を持っているのかまで知ることができますよ。

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フランス代表のワールドカップの成績

最初に、フランス代表のこれまでのワールドカップの成績をご覧いただきましょう。

開催年 成績 出場国数
1930 グループリーグ敗退 13
1934 1回戦敗退 16
1938 ベスト8 15
1950 予選敗退 13
1954 グループリーグ敗退 16
1958 3位
1962 予選敗退
1966 グループリーグ敗退
1970 予選敗退
1974
1978 グループリーグ敗退
1982 4位 24
1986 3位
1990 予選敗退
1994
1998 優勝 32
2002 グループリーグ敗退
2006 準優勝
2010 グループリーグ敗退
2014 ベスト8
2018 優勝

1978年までの成績を振り返ると、1958年の3位以外は目立った好成績を残せていません。

しかし、1982年以降の2回の優勝を含めた成績を見れば、「フランスはサッカー強豪国である」と呼ぶことに誰も文句を言わないでしょう。

このワールドカップの成績をもとに、フランスサッカーの特徴をご紹介していきます。

フランス代表のサッカースタイル

フランス代表のサッカースタイルは、時代とともに変化してきました。

まずはその移り変わりをご紹介しましょう。

芸術を愛する国民性

ご存知の通り、フランスの首都は「芸術の都」とも呼ばれる世界有数の大都市パリです。

ゴッホやピカソを代表とする絵画の文化、世界で最も有名な映画祭「カンヌ国際映画祭」を開くほどの映画の文化、世界三大料理である「フランス料理」を生み出した食の文化など、芸術文化に慣れ親しんだフランスの国民たちは、サッカーに対してもやはり芸術性を求めました。

レ・ブルー(フランス代表の愛称)は、イタリアのようにどんな内容でも勝てればいいという「結果がすべてのサッカー」ではなく、見る物を楽しませる「美しいサッカー」をする必然性があったのです。

1978年までのワールドカップでなかなか好成績を収められなかった「敗因」のひとつは、そこにあったのかもしれません。

関連記事>>>イタリアサッカーの特徴「1-0の美学」には”必然性”があった

イタリアサッカーの特徴をまとめています。この記事を読むことで、ワールドカップ優勝4回の強豪国であるイタリア代表と、カルチョの名で親しまれるイタリア・セリエAのサッカースタイルや戦術の特徴がわかります。

フランスサッカーと移民のつながり

しかし1980年代、フランス代表は革命によって黄金時代が訪れます。

3度のバロンドールを獲得することになる”将軍”ミシェル・プラティニは、同じくバロンドール候補で2位になる2人(アラン・ジレスとジャン・ティガナ)とともにフランス代表の中盤を巧みにコントロールし、シャンパンサッカーと比喩される「美しいサッカー」で国民を魅了します。

1982年のワールドカップスペイン大会で4位、1984年のヨーロッパ選手権で優勝、1986年のワールドカップメキシコ大会では3位となり、まさにフランス代表の黄金時代を築くことに。

シャンパンサッカーは、「美しい」だけだったフランスのサッカーに「強さ」をもたらしたのです。

それから3大会後の1998年、さらにそこから20年後の2018年のワールドカップにおいては、それぞれジネディーヌ・ジダンとキリアン・ムバッペの活躍により、フランスはついに強さの頂点を極めます。

1980年代の黄金期の中心選手だったミシェル・プラティニ、1990年~2000年代の中心選手だったジネディーヌ・ジダン、そして2018年、これから中心選手になっていくであろうキリアン・ムバッペ。

彼らには共通点があります。

それは、プラティニはイタリア系、ジダンはアルジェリア系、ムバッペはアフリカ系(カメルーンとアルジェリア)の「移民」であることです。

フランスは、19世紀という早い時期から移民を受け入れてきた国家です。

EUの統計期間(EUROSTAT)が2015年に発表した報告によれば、EU圏内やアフリカ諸国から移り住んできた移民のフランス国民を占める割合は、実に11.9%となっています。

同年の日本の割合はわずか1.6%であり、この数字の違いを見れば、フランスの移民の割合がいかに高いものなのかが実感できるはずです。

移民系のフランス人選手一覧

では、ここでフランス代表をサッカー強豪国へと押し上げた移民系の「職人たち」をご紹介しましょう。

ここに紹介しているのはあくまでも「移民系」の選手だけです。

代表期間 選手名 ルーツ
~1960 ジュスト・フォンテーヌ モロッコ
~1986 ミシェル・プラティニ イタリア
~1988 ジャン・ティガナ マリ
~1992 ルイス・フェルナンデス スペイン
~2002 ユーリ・ジョルカエフ カムライニ・アルメリア
~2002 クリスティアン・カランブー ニューカレドニア
~2004 ビセンテ・リザラズ バスク
~2004 マルセル・デサイー ガーナ
~2006 ジネディーヌ・ジダン アルジェリア
~2006 シルヴァン・ヴィルトール グアドループ
~2006 ミカエル・シルヴェストル グアドループ
~2008 リリアン・テュラム グアドループ
~2008 クロード・マケレレ コンゴ
~2008 ダビド・トレゼゲ アルゼンチン
~2009 パトリック・ヴィエラ セネガル
~2010 ウィリアム・ギャラス グアドループ
~2010 ティエリ・アンリ グアドループ
~2010 ニコラ・アネルカ マルティニーク
~2011 ジブリル・シセ コートジボワール
~2012 フローラン・マルダ ギアナ
~2013 エリック・アビダル マルティニーク
2003~ パトリス・エヴラ セネガル
~2014 サミル・ナスリ アルジェリア
~2016 バカリ・サニャ セネガル
~2018 ローラン・コシエルニー ポーランド
2010~ ブレーズ・マテュイディ アンゴラ・コンゴ
2013~ ラファエル・ヴァラン マルティニーク
2013~ ポール・ポグバ ギニア
2016~ エンゴロ・カンテ マリ
2016~ サミュエル・ウンティティ カメルーン
2017~ キリアン・ムバッペ カメルーン・アルジェリア

※スマホは表をスライドできます。

正確にあげればまだまだたくさんの移民系選手がいますが、ここでは特に印象に残っている選手をピックアップして掲載しました。

まさに「そうそうたる面々」ですね。

彼らはフランス代表の各時代を支えてきた功労者です。

そしてこのフランス代表を構成する人種の歴史は、サッカーを世界に普及するFIFA・国際サッカー連盟のコンセプトと深く関係しています。

FIFAの掲げる「Say no to racism」の意味

FIFA主催のもとで行われる試合の前、例えばワールドカップの試合前には、両チームの選手たちが「Say no to racism」(セイ,ノー,トゥー,レイシズム)というメッセージを掲げた横断幕を持つシーンが慣例となりました。

Say no to racism=人種差別に反対する

交通網の発達や通信設備の進化により、人種の垣根を越えた交流がさかんに行われるようになりましたが、それと同時に人種差別という大きな障壁も問題になっています。

そこでFIFAは4年に1度、世界中の人々を熱狂の渦に巻き込むFIFAワールドカップという国際舞台で、サッカーというスポーツを通じて人種差別の反対を訴えています。

FIFAの歴史を少し紐解くと、創設は1904年にまでさかのぼります。

フランスのパリで開かれた統括組織設立の会議によって”FIFA・国際サッカー連盟”が誕生し、初代会長はフランス人のロベール・ゲランが務めました。

FIFAワールドカップの歴史を少し紐解くと、初開催は1930年のウルグアイ大会であり、当時のFIFAの会長は、こちらもフランス人であるジュール・リメが務めていました。

このように、FIFAのターニングポイントにはフランス人の存在があったのです。

フランスがけん引して誕生した人種差別反対を訴えるFIFAと、様々な国や地域にルーツを持つ移民が集まり、異なる人種が融合して形成されているフランス代表。

FIFAの掲げる「Say no to racism」というスローガンは、サッカーフランス代表が歩んできた歴史そのものであり、人種差別をなくするために尽力(じんりょく)してきたフランス人が世界に発するメッセージでもあるのです。

多人種の融合がもたらした世界の頂点

では次に、ワールドカップを制したときのフランス代表のフォーメーションを見てみましょう。

1998FIFAワールドカップ・フランス大会

1998年、自国開催のフランスが初の世界一となり、まさに最高の成果でフランス中が歓喜したワールドカップ・フランス大会。

98年大会のフランス代表のメインフォーメーションはこのようになっています。

98年W杯フランス代表メインフォーメーション

  • GK:ファビアン・バルテズ
  • DF:ビセンテ・リザラズ
  • DF:マルセル・デサイー
  • DF:ローラン・ブラン
  • DF:リリアン・テュラム
  • MF:エマニュエル・プティ
  • MF:ディディエ・デシャン
  • MF:クリスティアン・カランブー
  • MF:ジネディーヌ・ジダン
  • MF:ユーリ・ジョルカエフ
  • FW:ステファーヌ・ギヴァルシュ
  • 監督:エメ・ジャケ

フィールドプレイヤー11人のうち、バルテズ、ブラン、プティ、デシャン、ギヴァルシュの5人が先住民系、リザラズ、デサイー、テュラム、カランブー、ジダン、ジョルカエフの6人が移民系の選手です。

この当時は、2018年現在ではあまり見なくなったクリスマスツリー型の「4-3-2-1」という守備的なフォーメーションを採用していました。

オフェンス時はポストプレイヤーのギヴァルシュが軸となり、その1トップの下にいるジダンとジョルカエフの2人が流動的に動き回って攻撃を組み立てます。

ディフェンス時はデシャンを中心にプティ、カランブーも加えたトリプルボランチを形成して相手に自由なスペースを与えません。

ジャン・ピエール・パパンやエリック・カントナといった先住民のスター選手を選ばず、ジダンら移民系の選手を軸にするという英断を下し、堅実なサッカーを選んで結果を残した監督はエメ・ジャケ。

多人種融合チームは国粋主義者からの批判もあり、決して前評判の良くなかったレ・ブルーでしたが、決勝ではブラジルを3-0で破り、見事に初優勝を果たします。

2006FIFAワールドカップ・ドイツ大会

2002年の日韓大会において、前回覇者が1得点もとれずにグループリーグ敗退となった汚名を返上するため、再招集されたベテランを中心に決勝まで上り詰めたワールドカップ・ドイツ大会。

2006年大会のフランス代表のメインフォーメーションはこちらです。

2006W杯フランス代表メインフォーメーション「4-2-3-1」

  • GK:ファビアン・バルテズ
  • DF:エリック・アビダル
  • DF:ウィリアム・ギャラス
  • DF:リリアン・テュラム
  • DF:ウィリー・サニョル
  • MF:クロード・マケレレ
  • MF:パトリック・ヴィエラ
  • MF:フローラン・マルダ
  • MF:ジネディーヌ・ジダン
  • MF:フランク・リベリー
  • FW:ティエリ・アンリ
  • 監督:レイモン・ドメネク

2006年のメインフォーメーションでは、フィールドプレイヤー11人のうち実に8人が移民系の選手で、先住民系はバルテズ、サニョル、リベリーのわずか3人だけとなりました(ちなみに監督のドメネクも移民系)。

フォーメーションはスタンダードな「4-2-3-1」を採用しています。

オフェンス時はジダンを司令塔にして周囲と連携をとり、成長著しいリベリーとマルダのサイドアタッカーがタッチライン際から相手を崩します。

ディフェンス時はテュラム、マケレレが経験値を生かして相手の攻撃の芽を摘みとります。

実績を考えれば、テュラム、ギャラス、ヴィエラにマケレレが待ち構える「門番たち」が揃う中央の布陣は、どんな相手にも相当な脅威を与えたことでしょう(ウイイレだったら絶対対戦したくない)。

監督は、選手起用などの度重なる問題で後に解任となるレイモン・ドメネク。

ジダンはこの大会が始まる前に大会終了後の現役引退を発表しており、そんなジダンに有終の美を飾ってもらおうとチームはいよいよ決勝まで勝ち進んだわけですが、その延長後半5分、ジダンがイタリアのセンターバック、マテラッツィへ頭突きをして一発退場になります。

サッカー史に残る偉大な選手がワールドカップの横をすり抜けピッチを去るシーンは、今でも脳裏に鮮明に焼きついて離れません。

2018FIFAワールドカップ・ロシア大会

ジダンの引退後、フランス代表監督を続投したレイモン・ドメネクでしたが、2010年南アフリカ大会では練習のボイコットが起こるなど、チームは完全崩壊。

それから8年のときが経ち、前回の歓喜から20年後の2018年、パリのシャンゼリゼ通りに再びトリコロールの泡が弾けることになります。

記憶にも新しい、2018年大会のフランス代表のメインフォーメーションはこちら。

2018W杯フランス代表メインフォーメーション「4-2-3-1」

  • GK:ウーゴ・ロリス
  • DF:リュカ・エルナンデス
  • DF:サミュエル・ウンティティ
  • DF:ラファエル・ヴァラン
  • DF:ベンジャマン・パヴァール
  • MF:エンゴロ・カンテ
  • MF:ポール・ポグバ
  • MF:ブレーズ・マテュイディ
  • MF:アントワーヌ・グリーズマン
  • MF:キリアン・ムバッペ
  • FW:オリビエ・ジルー
  • 監督:ディディエ・デシャン

この11人で先住民系の選手はリュカ・エルナンデス、パヴァール、ジルーの3人だけ、他8人はすべて移民系の選手です。

ディフェンス時は行動範囲の広いカンテが侵入者を捕え、オフェンス時はポグバが広い視野と高い技術、そして身体能力を生かした攻撃参加によって相手の急所を狙います。

そして、特筆すべきはキリアン・ムバッペの存在です。

このときはまだ19才でしたが、すでに所属クラブでは最年少記録を塗り替えてきた「実績」を持ち合わせており、10代の選手としては異例の移籍金(234億円)でパリ・サンジェルマンへ加入したことも話題になりました。

このように、フランス代表をサッカー強豪国へと押し上げた移民の功績は偉大であり、いつの時代も重要な役割を果たしてきたのです。

先住民族である白人の持つ戦術理解度の高さ、そしてブラックアフリカ系、ホワイトアフリカ系移住民族の身体的能力の高さが融合したチームがサッカーフランス代表の最大の特徴であり、彼らのサッカースタイルなのです。

ただし、調和がとれれば天下無敵のフランス代表でも、ときには多人種チームならではの問題が浮き彫りになることもありますが。

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footballista

ユース(若手育成)の概念を生み出した国

FIFAという国際的な統括組織を設立し、サッカーというスポーツの普及をリードしてきたフランスですが、若手の育成においても世界に先駆けて行動してきた歴史があります。

1972年、国はサッカー選手を育成する施設をオーヴェルニュ州のヴィシーに完成させます。

後にクレールフォンテーヌに場所を移し、「クレールフォンテーヌ国立研究所」と呼ばれる若手を育てるための養成所ですが、その当時は若い年代から選手を育成をするという概念自体がなかったため、このイノベーションは世界中に拡がることになります。

クレーヌフォンテーヌ出身の選手は主にティエリ・アンリ、ウィリアム・ギャラス、ニコラ・アネルカ、ブレーズ・マテュイディ、そしてキリアン・ムバッペなど。

参考

クレールフォンテーヌ出身の選手

Wikipedia

アヤックスのユースアカデミーやバルセロナのカンテラなど、今ではクラブ―チームの下部組織の存在は当たり前になりましたが、それらが出来るよりも前に、若手育成という概念を国がけん引して構築したという歴史が確かにあるのです。

フランスという国は、FIFAの創設やワールドカップの開催、そして若手育成など現代サッカーに革新を起こしてきました。

18世紀後半、フランス国内では市民によって革命が起こされましたが、サッカーにおいては、20世紀、21世紀、そしてこの先も、フランス人による革命が起こされ続けていくのかもしれません。

まとめ

最後に、フランスサッカーの特徴をおさらいします。

  • 芸術を愛する国民はサッカーにも芸術性を求めた
  • 「美しさ」に「強さ」を加えたのはイタリア系移民のミシェル・プラティニ
  • 「美しさ」と「強さ」で初めて世界を制したのはアルジェリア系移民のジネディーヌ・ジダン
  • 若手育成という国の革命によって生まれたのがアフリカ系移民のキリアン・ムバッペ
  • FIFAの創設、ワールドカップの開催、若手育成の概念はフランス人による革命

フランス代表がいかにしてサッカー強豪国と呼ばれるようになったのか、移民である黒人がフランスサッカーとどう関わってきたのか、この記事がその答えのひとつになり得ることを願っています。

世界のサッカー強豪国であるイングランド、イタリア、スペイン、ドイツ、オランダ、ブラジル、アルゼンチンのサッカーの特徴はこちらのまとめページをご覧ください。>>>強豪国のサッカースタイルまとめ!

強豪国のサッカースタイルのまとめです。世界各国のサッカー強豪国のサッカースタイルを国別に詳しく解説している記事へアクセスできます。
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