サッカーの歴史・誕生から現在までの進化の過程を10分で振り返る

人類の進化の過程のシルエット サッカーの歴史
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1863年10月26日、イギリス、ロンドンのバーで行われた会議によって、サッカーと呼ばれるスポーツが誕生しました。

現代サッカーの原型が作られ、ここから150年という長い歳月をかけて進化していくことになります。

しかし、そこにはサッカーのルール改正に携わる「FIFA(フィファ)」と「IFAB(アイエフエービー)」という2つの組織の複雑な関係性や、ワールドカップの盗難事件など、道のりは非常に険しいものでした。

この記事では、150年のサッカーの歴史を語るうえで外せないターニングポイントをしっかり押さえながらも、短時間で簡単に進化の過程がわかるように、サッカー誕生から現在までの歴史を簡潔にまとめます。

サッカー誕生までの歴史はこちらをご覧ください。

FIFAとIFABの関係性

FA・The Football Association(エフエー・フットボールアソシエーションの略)の発足により、イングランドで生まれた「フットボール=サッカー」というスポーツ。

FAに続いて様々な組織や団体が作られていき、世界中の人々に熱狂をもたらすことになるのですが、今現在、世界のサッカーをとりまとめている組織はご存知「FIFA」です。

しかし、サッカーのルールを決めているのは「FIFA」ではなく「IFAB」という組織なんです。

あなたはこのことをご存知でしたか?

この章では、「FIFAとIFABの関係性」について詳しくご紹介していきます。

世界初のカップ戦とリーグ戦の誕生

FA創立から9年後の1872年、イングランドで世界初のサッカー大会「FAカップ」が開催されました。

そして、FA創立から25年後の1888年には、イングランド国内の強豪クラブを集めて世界初のフットボールリーグ「English Football League・EFA」が始まります。

プロサッカーリーグの誕生です。

1920年代にはこのフットボールリーグをモデルにする形で、ほとんどの国・地域でもサッカーのプロ化が進んでいくことになります。

IFAB(国際サッカー評議会)の誕生

1863年のイングランドサッカー協会(FA)創立を追うようにして、イギリス国内では次々にサッカー協会が設立されていきます。

  • 1873年:スコットランド
  • 1876年:ウェールズ
  • 1880年:アイルランド

このイギリス4協会が出揃ったころ、イギリス国内でサッカー大会を開催するため、話し合いの場が設けられます。

イギリスは元々、別の4つの国が集まった連合王国なので、イギリス国内で行われる大会とはいえ、事 実上世界初の国際大会ということになりました。

その際、各サッカー協会によってルールに微妙な違いがあったため、1882年、国際サッカー評議会・IFAB(International Football Association Board)という組織を発足、翌年から国際大会を開催するようになります。

FAの創設(サッカー誕生)から19年後のことです。

FIFA(国際サッカー連盟)の誕生

イギリスが国際大会を開催するようになったころ、他のヨーロッパ各国でも「サッカーの国際大会を開催しよう!」という声が高まっていました。

  • FAと他国のサッカー協会が協力して国際大会を開くこと
  • 各国のルールの微妙な違いを統一して標準化すること

この2つの目的を達成するため、サッカーの国際的な統括組織を作ろうとフランスを筆頭に動き出しますが、イギリスはこの「お誘い」を断ります。

結果、イギリス4協会抜きの8カ国で会合を開き、IFABの発足から18年後の1904年、国際サッカー連盟・FIFA(Fédération Internationale de Football Association)」がついに創設されます。

FAがFIFAに加盟しなかった理由

サッカーは、FAができたことで初めて「フットボールというスポーツ」として確立しました。

より多くの人々とこの娯楽をシェアするため、イングランドは以下の3つを開催することでサッカーの産業化、さらには文化としての定着化に成功しました。

  • 世界初のサッカー大会(FAカップ)
  • 世界初のプロによるリーグ戦(フットボールリーグ)
  • 世界初のサッカー国際大会(ブリティッシュ・ホーム・チャンピオンシップ)

すでに4協会が独自に活動し、国際大会も開いて基盤を構築していたイングランドは、「自分達の優位性を保てる条件でなければFIFAに加盟する必要がない」と主張したわけです。

言い換えれば、「自分たちが作ったサッカーなのだから、自分たちが1番強いのはわかっているので、国際連盟に加盟する意味がない」ということです。

IFABがFIFAに提示した加盟条件とは

そういったいきさつがあり、フランスがけん引してサッカー単独の世界選手権を開催したいという目的があったFIFAは、「母国イギリスにはなんとしても加盟してほしい」という目論みがあったために、IFABにある提案をします。

当初、1国1代表を原則としていたFIFA。

しかし、サッカーの国際ルールを決める組織IFABを18年も前に設立していた「先輩」には逆らえず、イギリス4協会の加盟を個別に承認し、さらにルールの制定や改定はIFABが定める、という形になりました。

その後、FIFAの代表団がIFABの定例会に参加できるようになりますが…。

ルール改正に必要な投票は8票なのに対し、IFABだけで計8票もっており、FIFAには2票しか与えられませんでした。

つまり、実際には「IFABの投票だけでもルール改正ができてしまう」という条件でした。

しかし、その後1958年にこの規定は変更され、ルール改正に必要な投票は6票になり、IFABが4票、FIFAも4票になったため、いまではIFABの投票だけではルールの改正ができないようになっています。

ただし、基本的な構図でいうと、IFABはイギリス4協会の集まりで4票を持っていますが、FIFAは211協会の集まりで4票しか持っていないという「不自然さ」は残ったままです。

サッカースタイルの確率と進化

最低限必要な道具はボール1個だけで、ルールも簡単。

経済水準や教育水準、天候や場所などによる制限が少ないため、先進国はもちろん発展途上国に至るまで、老若男女問わずに広く世界に普及していくサッカー。

この章では、サッカースタイルの確立と進化の歴史をご紹介します。

FIFAワールドカップの数奇な運命

スタジアム11ステアウアブカレスト

1930年、ウルグアイで第1回目のFIFA ワールドカップ(FIFA World Cup)が開催されます。

4年に1度のナショナルチーム世界一を決める、FIFA待望のサッカーの世界選手権です。

ワールドカップの歴史のまさに1ページ目が書きあげられた瞬間ですね。

以前は、初開催時のFIFAの会長「ジュール・リメ」にちなんだ「ジュール・リメカップ」という名前でしたが、1970年メキシコ大会におけるブラジルの3度目の優勝という偉業を称えるため、FIFAはそのジュール・リメカップの永久保持を規定します。

つまり、「ブラジルさん3回も優勝とはさすがっすね、記念にこのトロフィー差し上げますんで飾っといてください。」ということです。

FIFAの好意によって、次の1974年西ドイツ大会では新たに「ワールドカップ」という名称の2代目トロフィーが作られますが、現在では「3回優勝したら永久保持」というシステムはなくなりました。

これには理由があります。

初代トロフィー「ジュール・リメカップ」ですが、あろうことか永久保持していたブラジルサッカー連盟から盗まれてしまったのです。

必死の捜査のかいもなく、初代トロフィーは結局行方不明のまま…。

FIFAはその悲劇を教訓にし、今では表彰式後、ワールドカップが盗まれないようにすみやかに回収、優勝国にはレプリカを寄贈するという形をとるようになりました。

ワールドカップの盗難事件は、ワールドカップの歴史を語る上で欠かすことのできないエピソードとなってしまったのです。

ワールドカップのお値段

物理的な価値の目安として、あなたはワールドカップの値段がいくらなのかご存知でしょうか。

2005年から表彰式で使われている3代目ワールドカップトロフィーは18金でできており、その重さは6,175gあります。

この記事執筆時点(2018/11/25)の18金の価格は1グラム3,521円ですから、計算すると21,742,175円、つまり表彰式で選手たちが無邪気にキスをして宙を舞うワールドカップは2千万円オーバーの「お値打ち品」です。

2千万円を宙に放るのは緊張しますが、これなら気楽に放り投げることができますよ。

サッカースタイルの確立

IFABとFIFAの創立によって、ヨーロッパから世界中に広がっていく新たなスポーツ、サッカー。

全世界の連盟であるFIFAの下には各大陸ごとの連盟も創立され、国境を越えたクラブチーム同士の大会も開催されるようになり、FIFAへ加盟する国と地域の数は右肩上がりに増えていきます。

主にヨーロッパと南米を中心にその盛り上がりを見せていくわけですが、このあたりから各国や地域によって、サッカーに様々な特色が見られるようになります。

単純な体格や国民性はもちろん、歴史、政治、文化までもが絡み合って形成されていくその様は、実に興味深いものです。

ほんの一部ですが、ご紹介しましょう。

イングランド

サッカーの原点である、ボールの奪い合いを彷彿とさせるまさにフットボールスタイルの「母国・イングランド」。

大柄な体格を生かし、ロングボールやセンタリングを多用するフィジカルコンタクトに重点を置いたサッカーが特徴です。

現在、イングランドの1部リーグである「プレミアリーグ」の視聴者数は、全世界で10億人を超えており、全てのスポーツで1番人気があるリーグとなっています。

ブラジル

ワールドカップ最多5度の優勝を誇る「王国・ブラジル」。

ブラジルと言えばやっぱりサンバです。

国民が親しむその音楽性はサッカーにも共通しており、緩急をつけたスピードの変化+体を大きく使ったフェイントで、相手を惑わすドリブルを得意とするテクニックのある選手が多いのが特徴です。

なお、これらの各国のサッカースタイルは大ボリュームであり、ここでは紹介しきれないのでリンク先をぜひご覧ください。

現在8ヶ国の強豪国のサッカースタイルを掲載中です。

ルール改正による進化

130年以上前にIFABが制定し、ルール改正を重ねて進化してきたサッカーのルール。

今では当たり前のルールでも、意外と歴史が浅いものも結構あるんです。

  • 1970年・イエロー&レッドカードの導入。それまではレフェリーが口頭で注意していました。
  • 1994年・勝ち点制度の変更。それまでは勝っても勝ち点2で、逆に言えば引き分けでも悪くないっていうルールでした。
  • ゴールラインテクノロジー&VARの導入。人間の判断では逃れることのできない誤審に対し、ついに機械が導入された革命的なルール改正です。

ルール改正はこれまで幾度となく行われてきましたが、基本となるコンセプトはサッカーをより面白く、つまりはスペクタクルな試合展開にすることです。

ルール改正の歴史については、こちらで深く知ることができますよ。

まとめ

FAの創設後から現在に至るまでの進化の過程をまとめます。

  • サッカーのルールを決めているのはFIFA(国際サッカー連盟)ではなくIFAB(国際サッカー評議会)
  • 初代ワールドカップ(ジュール・リメカップ)は盗まれて行方不明のまま
  • 国や地域によって、サッカースタイルに違いができた
  • ルール改正によって試合はよりスペクタクルに

FAの誕生から150年以上という長い歴史の中で、サッカーは様々な進化を重ねて現在の形になりました。

その歴史は、2018年現在のサッカーにもしっかりと継承されており、「強豪国の代表についた愛称にはどんな意味があるのか?」なんていう疑問を解決してくれたりもします。

こちらでぜひ、新たな歴史を手に入れてください。

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