津軽半島に「飛び地自治体」がいくつもあるたった1つの理由

青森県の市町村の歴史
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この記事では、全国でも珍しい「飛び地だらけの市町村の合併の歴史」をご紹介する。

青森県西部に位置する、津軽半島。

日本屈指の難解な方言「津軽弁」が話されるこの地で、平成17年(1999年)の3月28日、1市3町4村がそれぞれ合併を行ない、新たに1つの市と2つの町が誕生した。

政府が推し進めた平成の大合併によって生まれたこの1市2町だが、住民は新しい時代の訪れに期待する以前に、ややいびつな感情を抱くことになる。

その理由は、上記の「1市3町4村が入り乱れて飛び地合併した」からだ。

さっそくだが、合併の経緯を時系列でご紹介していこう。

ちなみに、この記事を書いている筆者は、津軽出身の両親の間に生まれた津軽生まれの津軽育ち、つまり純度100%の津軽人であり、津軽を愛するがゆえの執筆であることを申し添えておく。

「未成」に終わった合併の動き

平成17年に合併が成立する上記の8市町村だが、実はそれよりも前の平成13年~16年の間に、別の形での合併に向けた協議が行われていた。

これらの協議は結果的に実現には至らなかったわけだが、今では幻となった「未成合併」は、私たちの想像や妄想を膨らませるには最適な素材だと思うので、まずはそちらからご紹介する。

今別町・蟹田町・平舘村・三厩村・蓬田村

 

東津軽5町村任意合併協議会

平成13年6月、今別町・蟹田町・平舘村・三厩村・蓬田村の5町村によって「上磯5町村合併研究会」が設置され、約1年をかけて計5回の全体会議が開催される。

平成14年7月、上記の5町村によって「東津軽5町村任意合併協議会」が設置され、任意の合併協議会が計3回開かれるが、翌年の3月をもって協議会は解散。

合併に向けた5町村のプランは約1年半で廃案となる。

金木町・中里町・市浦村・小泊村

津軽北部四町村

平成14年1月、金木町・中里町・市浦村・小泊村の町村長・議長が、任意の合併協議会設置を目指すことで一致する。

同年4月、上記の4町村によって「津軽北部地方合併協議会」が設置され、約8か月にわたって任意の合併協議会を計5回開催。12月には法定の合併協議会となる「津軽北部四町村合併協議会」の設置が合意となる。

平成15年2月、「津軽北部四町村合併協議会」を設置。4月に開催された2回目の合併協議会で合併期日を「平成17年3月以内」に、合併方式を「新設合併」とすることが決定される。

同年7月、5回目の合併協議会で事務所の位置を「現金木町役場庁舎」に決定。

同年9月、7回目の合併協議会で新しい町の名称を「十三湖町」に決定。

同年11月、9回目の合併協議会で合併期日を「平成17年3月28日」に決定。

翌月の12月25日、4町村のうちの1つである金木町の臨時議会において、「津軽北部四町村合併協議会」からの離脱案を全会一致で可決。

2日後の27日、津軽北部四町村合併協議会の正副会長(4町村長)会議を開催、合併協議会を平成16年1月31日付けで廃止することに合意。

翌年の1月31日、津軽北部四町村合併協議会が廃止。津軽北部4町村による合併の動きは、2年の歳月を経て未成に終わった。

考察

1つめの今別町・蟹田町・平舘村・三厩村・蓬田村による合併に向けた動きでは、当初「上磯5町村合併研究会」で合併へ向けた会議が行われ、後に「東津軽5町村任意合併協議会」が設置されたわけだが、3回の協議を経て解散となっている。

こちらのケースでは、「東津軽5町村任意合併協議会」という名称の通り、あくまでも任意の協議会という位置付けであり、比較的早い段階で廃案になったことがわかる。

一方、金木町・中里町・市浦村・小泊村の合併に向けた動きでは、やや状況が異なっている。

というのも、こちらのケースでは任意の「津軽北部地方合併協議会」を経て、法定の協議会となる津軽北部四町村合併協議会」の開催までたどり着いており、合併期日と合併方式、さらに新町の名称を「十三湖町」とするところまで決まっていた。

ところが新町の名称が「十三湖町」と決まった翌月の10月、金木町民によって「十三湖町」という町名の変更を求める署名活動が勃発する事態となる。

なぜこんなことになったのかというと、実は新町の町名の最終候補は2つに絞られており、1つめは既出の「十三湖町」だったのだが、もう1つの町名は「太宰町」だったのだ。

金木町と言えば、かの有名な小説家「太宰治」の出身地である。

今回の合併案が立ち上がった年の6年前となる平成8年、太宰治文学記念館と旅館を併設した「斜陽館」が経営難に陥り旅館が廃業。そこで施設を町が買収し、翌々年の平成10年に太宰治記念館 「斜陽館」としてリニューアルオープン、現在も多くのファンに愛されている。

こういった経緯から、金木町民にとって太宰は特別な存在であったことがうかがえるし、新町名の候補に「太宰町」が残ったのもいたって自然な流れと言えるだろう。

そして、新しい町役場が「現金木町役場庁舎」とされたのも、おそらく「町名は太宰にできないけど、そのかわり町役場は金木に置きましょう」という折衷案だったのだろうが、最終的に十三湖町は「幻の町」となったというわけである。

以上のことから、2つめのケースでは「合併の話しが限りなく実現性の高い段階まで進んでいた」と読み取ることができる。

津軽半島の飛び地合併の経緯

ではここから、今回の核となる津軽半島の飛び地合併の経緯を順にご紹介していこう。

まず最初に飛び地合併の動きが始まったのは、津軽半島の内陸に位置する中里町、そして日本海側に位置する小泊村だった。

中泊町(中里町・小泊村)

中泊町

金木町が離脱したことで実現しなかった「津軽北部四町村合併協議会解散」の翌月となる平成16年2月、メンバーの一自治体であった小泊村において、合併に関するアンケートが実施された。

内容は、前回の合併協議会に参加していた市浦村を除く中里町、金木町との3町村による合併のアウトラインを問うもので、その結果は「6割以上が賛成」であった。

しかし、なぜ市浦村を除いた3町村にしたのか。

答えは勘のいい方ならすでにお気づきだと思うが、前回の協議会が解散になった理由が「十三湖町」という町名であったとすれば、十三湖を抱える市浦村を除くことによって、金木町のわだかまりを取り去ることができるのではという期待からだろう。

そして翌月の3月、上記のアンケート結果を踏まえ、小泊村は中里町と金木町に合併へ向けた法定の協議会設置を申し入れるのだが、当の金木町は五所川原市との合併の検討に入っており、小泊村は肩透かしを食うことになる。

ところが翌月4月、今度は中里町が小泊村へ合併協議を申し入れ、6月21日に「中里町・小泊村合併協議会」という法定の合併協議会が設置される。

3日後の24日、さっそく開催された1回目の合併協議会において、合併方式を「新設合併」とすることが決定。

同年8月、4回目の協議会で、合併期日を「平成17年3月28日」に決定。

同年9月、5回目の協議会で、事務所の位置を「現中里町役場」に決定。

同年10月8日、7回目の協議会で新町の名称を「中泊町」とすることが決定。最終候補は「中泊・稲海(いなみ)・美里」の3つで、住民アンケートで最も票を集めたのが中泊だった。

同月28日に合併協定調印式が開催。両町村の議会で「中泊町」新設合併議案提案が可決される。

平成17年1月の総務大臣告示を経て3月28日合併施行となり、これによって津軽半島に1つめの飛び地自治体「中泊町」が誕生する。

五所川原市(五所川原市・金木町・市浦村)

五所川原市

津軽北部四町村合併協議会」の離脱決定から3か月後の平成16年3月、上述の通り、小泊村から合併協議会設置の申し入れを受けた金木町であったが、合併のアウトラインを問う住民アンケートでは、「広域合併を含む五所川原市との合併」に最も多くの票が集まった。

金木町が中里町・小泊村との合併協議会に参加しなかったのはこのためである。

同月30日、市浦村が五所川原市に合併協議を申し入れ、翌月4月には金木町も五所川原市に合併協議を申し入れる。

同年7月1日、五所川原市・金木町・市浦村によって法定の合併協議会となる「五所川原地域村合併協議会」が設置され、7日後には1回目の合併協議会が開催、合併方式を「新設合併」に、合併期日を「平成3月28日」にそれぞれ決定する。

同年8月、4回目の合併協議会が開催され新しい市の名称を「五所川原市」に、事務所の位置を「現五所川原市役所」とすることが決定。

同年10月、合併協定調印式が開催。3市町村の議会で「五所川原市」新設合併議案提案が可決される。

平成17年1月の総務大臣告示を経て3月28日合併施行となり、これによって津軽半島に2つめの飛び地自治体「五所川原市」が誕生する。

外ヶ浜町(蟹田町・平舘村・三厩村)

外ヶ浜町

「任意止まり」で終わった上磯5町村の合併協議会解散から1年以上経った平成15年の12月、津軽半島最北の三厩村が、蟹田町・平舘村との飛び地合併の検討に入る。

平成16年8月、上記の蟹田町・平舘村・三厩村の3町村によって、法定の合併協議会となる「東津軽三町村合併協議会」が設置され、翌月に開催された2回目の合併協議会で合併方式を「新設合併」に、事務所の位置を「現蟹田町役場」にそれぞれ決定。

同年9月、4回目の合併協議会で、合併期日を「平成17年3月28日」に決定。

同年8月、新町名の最終候補が「海峡町(かいきょう)」「海幸町(かいこう)」「風の(風野・かぜの)町」「外ヶ浜町(そとがはま)」「龍飛(竜飛、たっぴ)町」の5つに絞られ、アンケートの結果「竜飛町」が最多票を獲得、次いで「海峡町」「外ヶ浜町」と続いた。しかし平舘村が「竜飛町」に難色を示したことから再検討に入る。

同年11月3日、12回目の合併協議会で新町の名称を「外ヶ浜町」に決定。翌日の4日には合併協定調印式が開催され、3町村の議会で「外ヶ浜町」新設合併議案提案が可決される。

平成17年1月の総務大臣告示を経て3月28日合併施行となり、これによって津軽半島に3つめの飛び地自治体「外ヶ浜町」が誕生する。

考察

飛び地合併をした上述3つの自治体に共通する要素は、「未成の合併協議会を経ている」ことである。

蟹田町・平舘村・三厩村が一緒になった外ヶ浜町は「東津軽5町村任意合併協議会」の解散後に飛び地合併。中里町・小泊村が一緒になった中泊町、五所川原市・金木町・市浦村が一緒になった五所川原市は、「津軽北部四町村合併協議会」の解散後に飛び地合併に至った。

もちろん、合併に至るまでには協議会を幾度も重ね、千思万考(せんしばんこう)の末の決断だったのは言うまでもないとは思うのだが、今一度我らが津軽半島の地図を見てもらいたい。

青森県 平成の大合併後 津軽半島

こんなに入り組んだ自治体の並び順を、私は他で見たことがない。

こんなに複雑な自治体の配置図が、令和4年現在の津軽半島に確かに存在している。いや、「存在してしまっている」と言った方が自然かもしれない。

仮に、五所川原市の市役所をスタート地点、外ヶ浜町の町役場をゴール地点と定め、国道339号と国道280号を使って反時計回りに半島をドライブした場合、経由する自治体の順は以下のようになる。

津軽半島 反時計回り

五所川原市中泊町五所川原市中泊町外ヶ浜町→今別町→外ヶ浜町

どうだろうか、まさに「カオス」という言葉がピッタリなドライブコースになった(カオス=混沌としている)。

しかし、なぜこんな事態になったのだろうか。

私には1つだけ思い当たる節がある。

それは、「じょっぱり」だ。

「じょっぱり」とは、津軽地方の方言で「意地っ張り」あるいは「頑固者」を意味する言葉だ。

これは完全な私見だが、じょっぱりの語源は意地っ張りとほぼ同義語の「強情っぱり(ごうじょうっぱり)」の「ごう」と「う」を略したものが津軽弁の「じょっぱり」になったと思われる。

というのも、津軽弁は単語を短くしがちな方言であり、「ごうじょうっぱり」という響きは津軽の人からすると長過ぎるのだ。例えば、普段使いの津軽弁だとこんな会話が思いつく。

  • わさもけ→「わたしにもちょうだい」
  • ままけ→「ごはん食べなさい」
  • めやぐだの→「ご迷惑をおかけしてすいません」

上記はほんの一例だが、津軽弁の傾向がよくわかっていただけたはずだ。

少し話しが脱線したが、まず、意地っ張りの意味から見てみよう。

こうと思ったことは、よくても悪くても押し通すこと。また、そのさまや、そういう人。強情っぱり。

weblio辞書 いじっ‐ぱり【意地っ張り】

そして、今回の記事の核となる強情っぱりの意味も見てみよう。

自分の考えを強く主張して他人の意見を聞き入れないこと。また、そういう人や、そのさま。意地っ張り。

weblio辞書 ごうじょっ‐ぱり【強情っ張り】

津軽半島で繰り広げられた、複雑過ぎる摩訶不思議な飛び地合併の歴史。

しかし、なぜそんなことになったのかという理由は上述の通り、経緯の元をたどれば明らかだ。

「飛び地自治体だらけになった理由は、津軽という土地の地域性が原因である」

答えはいたってシンプルだが、飛び地によって複雑に入り組んだ合併劇を「ひとこと」で説明するには、飾り気のないこんな回答の方が、すべてを納得させてくれるのかもしれない。

まとめ

今回の要点のまとめです。

  • 今別町・蟹田町・平舘村・三厩村・蓬田村の合併は任意の協議会解散で実現せず
  • 上記5町村のうち今別町・蓬田村は単独自治を継続
  • 金木町・中里町・市浦村・小泊村の合併は法定の協議会まで進むも実現せず
  • 上記4町村のうち金木町・市浦村は五所川原市と合併
  • 上記4町村のうち中里町・小泊村は中泊町として合併
  • 「十三湖町」「太宰町」「竜飛町」は幻の町名となった

津軽に「じょっぱり」あり。

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