サッカーをする時に必要なのは、サッカーボールとゴール。
それらに匹敵するほどの象徴的なアイテムとなっている2枚のカード、イエローカード&レッドカード。
選手に対し、レフェリーが言葉にしなくても警告を与えることができる優れたツールですが、このカードっていつからあるんでしょう?
「いつからって、そりゃあサッカーができた時からあるでしょ?」
いいえ、違います。
サッカーができた瞬間から存在してたわけじゃないんですよこれが。
サッカーというスポーツができたのは、1863年(FAの創設)。
しかし、イエロー&レッドカードが国際舞台で導入されたのは、1970年(ワールドカップメキシコ大会)なのです。
「じゃあそれまでの約100年以上の間、どうしていたのよ!?」
ってことでこの記事では、イエローカードとレッドカードというシステムが導入された理由をまとめました。
ぜひ、あなたのサッカーライフにお役立てください。
イエローカード誕生までのサッカー
まずは1863年~1970年までの100年以上の間、どう対応していたのかについてです。
1890年、IFABによるサッカーのルール改正で、レフェリーは試合を制御し、警告・退場・PKなどの罰則を与える権利を得ますが、すべて口頭で伝えていました。
そうなんです…。すべて口頭です…!
口頭とは…
文書によらず、口で述べること。
つまり、「今のタックルは危ないぞ!!」「もう1回やったら退場だぞ!!」みたいなことです。
今となっては嘘みたいな話しですが、レフェリーは選手に口で警告していたのです。
しかし、そのやり方には限界があります。
国内のリーグであれば問題ありませんが、ワールドカップのような言語のまったく異なる選手やレフェリーが集まる国際大会ともなると、言葉の壁は試合の進行を多いに妨げることになります。
イエローカードの誕生と世界への普及
「口頭で注意」をしていた時代に開催された1966年のFIFAワールドカップイングランド大会における、イングランド×アルゼンチンの対戦のときのことです。
サッカーの母国イングランドと、南米屈指の強豪国アルゼンチンによるこの試合は、のちに「ウェンブリーの戦争」とも呼ばれ、2人の退場者を出す荒れた試合内容でした。
イングランド代表は英語、対するアルゼンチン代表はスペイン語、その両者をさばくレフェリーはドイツ語。
事態収集には困難を極めました。
後にイギリス王室から勲章を受ける、イングランド人の「ケネス・アストン」は、この大会の他の試合でもレフェリーを務めていた人物です。
試合が荒れた原因が「共通の言語が無いこと」であると感じていたアストンは、試合後そのことを考えながら家路につきます。
なにかいい解決策はないのだろうか…。
荒れた試合を振り返りながら自宅へ車を走らせるアストン。
信号機が青から黄、そして赤へ…。
「こ、これだっ…!!!」
そう叫んだかはわかりませんが、信号機という何気ない日常の風景をヒントにし、言語を使わなくても色のついたカードを提示することで、選手、さらには観客にもハッキリ伝えることができるのではないかと思いついたのです。
これがきっかけとなり、1970年メキシコ大会から正式採用された「イエローカード&レッドカード」というルール。
さらに、これは偶然の産物かと思われますが、「ウェンブリーの戦争」が起きたこの当時、世界ではテレビが白黒からカラー放送に変わりだした時期だったこともあり、色で意思表示をする黄色と赤の2枚のカードは、色を認識できるカラーテレビのおかげで一気に世界中に広がることにつながったのです。
サッカーの母国イングランドは、イエローカードとレッドカードの母国でもあったわけですね。
まとめ
イエローカードとレッドカードの歴史をまとめます。
- サッカー誕生から100年は口頭だった
- 考えた人物は、イングランド人の「ケネス・アストン」
- 色で意思表示することで言語に影響されずに済むという発想から2枚のカードは誕生した
- カラーテレビと共に一気に普及した
イエローカード、そしてレッドカード。
シンプルな発想から生まれた、実に合理的で重要なアイテムとなり、カラーテレビの普及という時代背景も手伝って、将来的には他の様々なスポーツにも取り入れられていくことになりました。
発想やひらめきって大切にしたいですね。
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