情熱の国と呼ばれるイベリア半島の歴史大国、スペイン。
フラメンコや闘牛など、日本では「感情が豊かな国民性だからこそ生まれる文化を持つ国」というイメージが強いですが、その人々の情熱は、もれなくサッカーにも向けられてきました。
スペイン代表のことをなぜ「無敵艦隊」と呼ぶのか、「エル・クラシコ」はなぜ世界でも有数のダービーなのか。
そこで今回は、今日に至るスペインサッカーの歴史とサッカースタイルを深く掘り下げていきます。
この記事を読むことによって、サッカー・スペイン代表とリーガ・エスパニョーラの特徴を深く理解できるはずです。
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サッカースペイン代表の歴史とサッカースタイル
最初に、ワールドカップにおけるサッカースペイン代表のこれまでの成績を振り返ってみましょう。
開催年 | 成績 | 出場国数 |
---|---|---|
1930 | 不参加 | 13 |
1934 | ベスト8 | 16 |
1938 | 不参加 | 15 |
1950 | 4位 | 13 |
1954 | 予選敗退 | 16 |
1958 | ||
1962 | グループリーグ敗退 | |
1966 | ||
1970 | 予選敗退 | |
1974 | ||
1978 | グループリーグ敗退 | |
1982 | 2次リーグ敗退 | 24 |
1986 | ベスト8 | |
1990 | ベスト16 | |
1994 | ベスト8 | |
1998 | グループリーグ敗退 | 32 |
2002 | ベスト8 | |
2006 | ベスト16 | |
2010 | 優勝 | |
2014 | グループリーグ敗退 | |
2018 | ベスト16 |
スペイン代表のサッカースタイル
目立った成績は1950年の4位、2010年の優勝となっているスペイン代表。
近年の代表チームの特徴と言えば、2006年あたりからFCバルセロナのメンバーを中心にした「ティキ・タカ」と呼ばれるポゼッションサッカーで世界を席巻したことです。
赤文字で表しているように、フィールドプレイヤー10人のうち、実に6人が当時バルセロナに所属していました(この年の夏、後にビジャもバルセロナへ移籍)。
このような代表チームの構成を生かし、「メッシのいないバルセロナ」と言われるほど連携のとれた質の高い戦術でサッカーを展開し、国際舞台で旋風を巻き起こすことになったのです。
ワールドカップの2年後には、こちらもやはりバルセロナ所属のセスクも加わり、FCバルセロナの戦術を受け継いだフォーメーション「0トップ」システムを追加。
あえて固定のセンターフォワードを置かずに、1.5列目や2列目、サイドバックの選手が自由に攻撃参加する新しいスタイルを確立し、ユーロ2008、2010W杯、勢いそのままにユーロ2012も制覇し、史上初の主要国際大会3連覇を達成しました。
無敵艦隊の由来を知っておこう
ここでひとつ注意しておくべきことをお伝えします。
日本のマスメディアでは、スペイン代表のことをよく「無敵艦隊」と呼びますが、それは日本のメディアだけなのです。
というのも、上述のワールドカップの成績表を見返すとよくわかりますが、先ほどお話しした黄金時代以外では、常に好結果を残してきたというわけではありません。
それなのになぜ無敵艦隊と呼ぶのか、ヨーロッパの歴史を振り返ると次のようなことがわかったのでご紹介します。
大航海時代の16世紀、スペインは植民地をどんどん広げて国力が上がっており、世界でも最強と言われるほどの艦隊を有していました。
しかし1588年、その世界最強の艦隊が、戦力で明らかに下のクラスだったイングランド艦隊と戦い、惨敗してしまうのです(アルマダの海戦)。
後に、イングランド人は惨敗したスペイン艦隊を皮肉って「無敵艦隊」と呼んだのです。
これはつまり、「パッと見は強そうなんだけど実際戦ってみると弱い」という批判的な呼び方なわけです。
ですから、スペイン人に対して気軽に無敵艦隊と言ってしまうと、もしかすると軽率なプレーとして警告を受けることになるかもしれません。
使う時はよく考えてから発言しましょう!
エル・クラシコが世界で最も熱いダービーなのはなぜか
スペインサッカーと言えばまず思いつくのはやはり「エル・クラシコ」です。
直訳すると「伝統の一戦」。
スペインの首都、マドリードを本拠地とする「レアル・マドリード」と、国内ではマドリードに次ぐ第2の都市、バルセロナを本拠地とする「FCバルセロナ」の対戦のことを指し、世界で最も有名なダービーマッチと言えるでしょう。
「スペインサッカーを知るにはクラシコを知れ。」という言葉があるとかないとか。
少しご紹介させてください。
フランシスコ・フランコによる独裁政権
元来、地元への忠誠心が強く、同じ国内でも独立精神の高いスペイン国内では、地域によって言語や文化に大きな違いがありました。
例えば、バスク地方ならバスク語、カタルーニャ地方ならカタルーニャ語といった具合です。
1935年~1975年の40年もの間、FCバルセロナのあるカタルーニャ地方では、フランシスコ・フランコによる独裁政権によって、いわゆる地元語のカタルーニャ語を使ってはいけないという弾圧を受けていました。
独裁者であるフランコ政権の拠点は首都マドリードのため、公用語となるカスティーリャ語を使わなければならないという政策です。
そんな状況下において、唯一カタルーニャ語を使うことが許された場所は、FCバルセロナの本拠地である「エスタディオ・カンプノウ」だったのです。
つまり、弾圧を受けていたカタルーニャの人々にとって「カンプノウは特別な場所」であり、その上、首都マドリードでフランコ政権から支援を受け、チーム力を着々と上げていたレアル・マドリードへの敵対心は、そういった歴史が生み出したものだったのです。
独裁政権が生み出した余波
独裁政権の終焉からしばらく時が経ちましたが、その歴史は簡単に消せるものではありません。
レアル・マドリードとFCバルセロナのチーム間で行われる移籍は「禁断の移籍」と呼ばれ、スペインサッカー界では暗黙のタブーとなっていました。
しかし1990年代後半、FCバルセロナの中心選手として活躍していたルイス・フィーゴというポルトガルの名選手は、99-00シーズン終了後の2000年7月、後に「銀河系軍団」と呼ばれるレアル・マドリードへ移籍するという「電撃移籍」をやってのけます。
フィーゴはカタルーニャのバルセロナサポーターから裏切り者扱いをされ、移籍後はカンプノウでプレーするたびに「死ね、フィーゴ」の大合唱とともに罵声を浴びせられることに。
特にフリーキッカーの名手だった彼がコーナーキックを蹴ろうものなら、コイン、ペットボトル、ガラスビン、そして有名なのは「豚の頭」など、プレーをする間絶え間なく様々な物を投げつけられ、そのあまりのひどさに主審は試合を中断せざるを得ませんでした。
サッカーの試合では、基本的には雨が降ろうが雪が降ろうが、試合が中断するということは滅多にありません。
しかしこの場合、コーナーキックやスローインのたびに物が投げられ過ぎて中断が起こるんです。
ドリブラーであるフィーゴはサイドが主戦場。
ですから、白いユニフォームを着た彼がカンプノウでプレーするたび、終始タッチライン際がゴミだらけになっていたのです。
豚の頭が投げつけられた試合を生中継で観戦していた僕は、ど深夜に繰り広げられたそのディープな試合を目の当たりにし、Jリーグとは似ても似つかない光景にとてつもない衝撃を受けたのを覚えています。
これが本物のダービーというものなのかと、痛感した瞬間ですね。
ちなみに、この試合の中継は倉敷さんと金子さんのコンビだったのですが、あまりの出来事に「なぜ豚の頭が飛んできたのか?」という軽い議論が巻き起こります。
最終的な見解は、「試合に勝ったら豚の頭を焼いてパーティーをしようと計画していたバルセロナサポーターが、フィーゴに対する憎しみのあまり思わず投げてしまったのではないか」という推測でまとまったのですが…。
実は、禁断の移籍というのはフィーゴ以外にもあるんです。
ただ、ここまで大きな問題に発展した原因としてあげられるのは、以下の2点だと推察できます。
- フィーゴは、2000年にヨーロッパ年間最優秀選手賞であるバロンドールを受賞、翌2001年にFIFA最優秀選手賞を受賞するほどの質の高い選手だった
- フィーゴは、FCバルセロナでキャプテンを任されるほどサポーターから信頼されていた
これらの2つの要因が重なり、現在でも語り継がれるほどの代表的な「禁断の移籍」となったわけですね。
それにしても、あれだけの怒号や物が飛び交う超緊迫状態で「淡々と」プレーできるフィーゴのメンタルの強さには、ただただ感嘆しましたね…。
フランシスコ・フランコという独裁者による弾圧。
カタルーニャの人々にとって、特別な空間だったカンプノウというスタジアムの存在。
「エル・クラシコ」という舞台には、スペインとスペインサッカーの歴史が深く刻まれているのです。
豚の頭が飛んできたあのクラシコは、僕がサッカーの魅力にどっぷりと引き込まれていくことになった思い出深い試合のひとつとして、今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。
リーガ・エスパニョーラの特徴
1929年に創設されたスペインのプロサッカーリーグは「リーガ・エスパニョーラ」と呼ばれています。
リーグの優勝回数はレアル・マドリードとFCバルセロナが圧倒しており、クラブの規模を考えても2強のイメージが強いリーグですが、実際はそれ以外にもアトレティコ・マドリードやセビージャなど、ヨーロッパの国際舞台で常連の強豪チームが多数所属しています。
特に近年はUEFAチャンピオンズリーグ、UEFAヨーロッパリーグのベスト4には毎年スペイン勢の姿を見かけるほどですが、そんなリーガ・エスパニョーラの試合を見ていて感じることと言えば、以下の3点があげられます。
- ポゼッションサッカーやテクニカルなドリブル突破など、攻撃的なスタイルのチームが多い
- サポーターは常にスペクタクルな展開を求めていて、試合が停滞したりロングボールが多かったりするとブーイングが起きる
- ヨーロッパでも屈指の地域密着型であり、クラブチームは熱狂的なサポーターに愛されるシンボルである
他国に比べ、かなり独特の文化が定着しているスペインサッカー。
その癖の強さを順番にあげてみます。
ただ勝つだけじゃ納得してくれない
「情熱の国」と言われるように、スペインのサポーターはとにかくお互いに攻め合う試合展開を好む傾向があります。
どんなに得点を取ったとしても、どんなに勝ち点を取ったとしても、守備的な戦術のサッカーや単調なサッカーをする監督は批判を浴びることになってしまうわけですね。
過去には、リーグ優勝を果たしたのにも関わらず「試合内容がつまらない」という理由で解任された監督もいるほど。
そんなスペインサッカーの攻撃的なスタイルを証明するものが、リーグ得点王のゴール数に表れています。
2007-08シーズン以降の9年間、スペイン・イングランド・ドイツ・イタリアの4大リーグにおいて、リーガ・エスパニョーラの得点王が最多ゴール数をあげています(2013-14シーズンのみ、当時リバプールに所属のスアレスがメッシと同率1位)。
照明が消えてしまった後日の試合がスペクタクル過ぎる
上述の通り、カンプノウでは物が投げ込まれ過ぎて中断しましたが、他に印象に残っている出来事と言えば、スタジアムの照明が試合の途中で突然消えてしまったことですね。
その試合の詳細はこうです。
- 前半は何事もなく終了しハーフタイムへ
- 後半開始から少し経過したころで突然スタジアムの照明が消え、テレビ中継の画面も真っ暗に
- 結局その日は復旧できずに試合は強制終了、後日、照明が消えてしまった後半の途中からやり直すということに
ということで、後日の試合は通常90分間プレーするところを、半分以下の30分~40分(うろ覚えですいません)だけで終わりという特別扱いになったのです。
通常は90分間という時間が設けられているサッカーの試合では、体力の温存も含めてスローになる時間も生まれるわけですが、この後日の試合はその半分以下で1日が終わるわけです。
ということで、この後日の試合は体力温存を考える必要のない超ハイペースの目まぐるしい試合展開になり、文字通り「目が離せなかった」のを覚えています。
世界一激しく世界一優しいダービー&世界一癖の強い運営方針
地域密着型のスペインでは、クラシコ以外にも世界一激しいと言われる「アンダルシアダービー:セビージャ×ベティス」が有名です。
このダービーの由来は、元々は1つのクラブだった時代、選手の雇用問題などが原因で「セビージャ」「ベティス」という2つのチームに分裂し、その価値観や思想の違いが起因となっているのです。
そしてもうひとつ、これとは真逆の世界一友好的なダービーと言われる「バスクダービー:アスレティック・ビルバオ×ソシエダ」もあります。
同じバスク地方のクラブ同士の対戦で、バスクという地を愛するがゆえに、試合中は両チームのサポーターが入り交じり、互いに肩を組みながら応援するという珍しい光景をみることができます。
ライバルとの絶対に負けられない戦い、あるいは因縁の対決といった意味が強い「ダービー」という言葉ですが、そういった意味では、バスクダービーは「ダービーと呼べるのか?」という気もしますね。
ちなみに、アスレティック・ビルバオは1912年からスペイン・バスク地方出身選手のみでメンバーが構成されています。
多国籍化するクラブチームが主流の現在ではかなり癖の強い運営方針ですが、リーグの順位は毎年安定して中~上位につけており、ヨーロッパリーグでもたびたび上位に顔を出す実力派。
さらに特筆すべきは、1929年のリーガ・エスパニョーラ創設時からリーガに参戦し続けているビルバオは、その89年の歴史の中で1部から2部に降格したことが1度もないのです。
バスクというごく限られたエリアの選手だけで構成するビルバオですが、2018年現在、リーガ・エスパニョーラで2部へ降格したことがないのはレアルとバルサの2強と、このアスレティック・ビルバオだけとなっているのです。
2強時代の終焉なるか
リーガ・エスパニョーラでは、クラブチームに支払われる放映権料が2強に偏るシステムだったため、それ以外のチームの赤字問題が深刻化していました。
しかし、16ー17シーズンからその制度が大きく方針転換されたことにより、他クラブへの収益が増え、少しずつですが明るい未来が見え始めています。
さらに、ディエゴ・シメオネが監督に就任してからのアトレティコ・マドリードは2強に割って入る勢いを見せ、近年のヨーロッパの国際舞台では、楽しさだけではなく勝負強さも見せる実績ナンバー1のリーガ・エスパニョーラ。
クラブ運営の健全さが伴えば、まさに向かうところ敵なしの本当に強い無敵艦隊ならぬ「無敵連盟」となるはずです。
まとめ
情熱の国、スペイン。
人々はピッチに立つ11人に熱い視線を注ぎ、迫り来るディフェンダーを華麗なテクニックで翻弄する選手たちに「オーレ」の掛け声をかけ続ける。
そう、それはまるで、猪突猛進してくる闘牛をいなす「マタドール」に酔いしれる人々の姿と重なる。
近い将来、その中核を担っていたシャビ・エルナンデスに代わる人材が現われれば、スペイン代表「ラ・ロハ」は再び僕らに「スペクタクルなサッカー」を届けてくれることだろう。
次回は、安定の実績を誇るドイツです。>>>ドイツサッカーの特徴・ヒントは「メルセデス」と「ゲルマン魂」。