あなたは、「釣り」と「魚釣り」の違いについて考えたことはあるだろうか。
両者の違いは表面上「魚」がついているかついていないかだけなのだが、こんなわずかな違いでも真剣に考えてみると意外なほどに価値観が大きく異なっていることに気がついた。
そこで今回は「釣り」と「魚釣り」の違いを超真面目に比較。
釣りに対する概念を考え合わせ、両者の違いを明確にしていく。
この記事を読むことで、新たな釣りの定義を感じることができるかもしれない。
釣り=狩猟
釣りの概念のひとつめは、「魚釣り=狩猟である」という考え方だ。
おそらく、釣りの経験がまったくない人々からすれば、この概念が一番しっくりくるはずだ。
釣り、特にショアジギングのような海釣りをするアングラーについては、大きくふたつのグループに分けることができる。
- 釣れた魚をリリースする人
- 釣れた魚を持ち帰る人
1番のように、釣れた魚を持ち帰らずにその場で海に帰すことをキャッチ&リリースという。
それに対し、2番のように釣れた魚を持ち帰ることをキャッチ&イートという。
ここで、環境省の「狩猟の意義や役割」というページに、このキャッチ&イートという考え方と狩猟を紐づける興味深い文章が記載されていたので引用させていただこう。
狩猟ができる人(ハンター)は、野生鳥獣に対する深い理解と感謝の念を持ち、とらえた獲物を「いただく」ことをとても大切にします。
環境省「狩猟の意義や役割」
「釣り=狩猟」という概念を持ったアングラーは、この狩猟のハンター同様にとらえた獲物を「いただく」ことをとても大切にする。
そのため、釣りの目的は「魚をとらえること」であり、豊潤な釣果を得られたときこそ充足感で満たされることになる。
そういった観点から、「釣り=狩猟」という概念が成立すると言えるだろう。
釣り=生き物採集
釣りの概念のふたつめは、「釣り=生き物採集である」という考え方だ。
幼少時代、お父さんと一緒に昆虫採集をしたり、小学校ではクラスごとに生き物係がいたり、理科の授業でメダカの解剖をしたりといったような、生き物が関わった思い出が誰しもあるはずだ。
幼いながらにも、自分とまったく異なった生態を成す生き物に興味を持つのは自然なことで、大人になってもその好奇心が絶えずにコレクターになるケースもよく見られる。
こういった概念を持つアングラーの目的は先ほどの狩猟と同様に「魚をつかまえる」ことであり、最優先事項はやはり「釣果」なのだ。
つまり、生き物である魚を捕獲できてこそ「釣り=生き物採集」という概念が成り立つ。
釣り=スポーツ
釣りの概念の3つめは、「釣り=ゲーム性の高いスポーツである」という考え方。
この場合、狩猟の章でお話したようにキャッチ&リリースが基本となり、釣った魚を持ち帰って食べることを目的としない。
どんなタックルを使い、どんな時間に、どんなフィールドで魚が釣れたのか。
そして、そこで釣った魚の種類や大きさ、重量などに焦点が当てられて、調理方法や食味のほうに目が向けられることはない。
メジャーなところでいえば、例えばブラックバスを狙う「バス釣り」などはまさにこのケースに当てはまるだろう。
ブラックバスの生息水域は主に沼や湖といった閉鎖的な環境であり、そういった水流の滞ったエリアに生息する魚は大抵臭みが強く、一般的に食べることを目的としてバスを釣るアングラーは少ない。
しかし、バス釣りはプロのバサーもいるほど人気のルアーフィッシングであり、そういった点を鑑みて釣りの概念を言葉で表すとすれば、「釣り=スポーツ」という解釈が妥当だろう。
釣り=ストレス発散
釣りの概念の4つめは、「釣り=ストレス発散の手段のひとつである」という考え方。
私の釣りに対するアイデンティティはまさにこれが当てはまる。
運動をする、カラオケを歌う、お酒を飲む、絵を描く、温泉に入る、遊園地に行く、ゲームをする、ツーリングに行く、山登りをする、キャンプをする。
思いつくままにあげてみたが、どれも日常から解き放たれ「至福のひととき」を味わうことができるものだ。
釣りというアクティビティにおいて、アングラーが相手にするのは魚であり、その魚は海や川や湖といった生身の人間が生存できない場所を住処としている。
そんな謎めいた生き物である魚を釣るにはどんなアプローチが最適なのか、釣行の何日も前から釣り場の事前調査を行ない、タックルの準備を整える。
「準備も釣りのうち」というが、他のアクティビティと比べると「釣りのための準備の時間」は圧倒的に安らぎを感じることができる(個人の感想です)。
つまり、こういった妄想にふける準備の時間も「至福のひととき」であると言えよう。
ところで、私が趣味にしているのはショアジギングという釣りだが、「釣り=ストレス発散」である私の場合、早朝に釣りに行くことはしない。
なぜなら、朝が弱いからだ。
釣行当日、朝早く起きて眠い目をこすりながらの出発の支度はストレスでしかない。
つまり、ストレス発散のために釣りに行くのにストレスを溜める原因を増やしていたら「本末転倒」なのである。
だから私は普通の時間に起床をし、釣り場に着くのはせいぜい9時頃か、遅いと昼前になることもよくある。
そのため、朝マズメと呼ばれるゴールデンタイムに釣りをすることはほとんどなく、夕マズメと呼ばれるゴールデンタイムも真っ暗になる前に切り上げて、帰路に着く。
つまり釣りをするのは日中の明るい時間帯だけで、これを言い換えれば「ショアジギングでは釣れにくい時間」に釣りをすることになる。
でも、「釣り」が好きな私にとってその釣れにくい時間は「最上な至福のひととき」なのだ。
真っ青な水平線を遠景に捉え、潮の音と匂いに満たされ、ルアーを目一杯遠投する。
だから、魚が釣れようが釣れまいが正直そこはどうでもよくて、気持ちよくルアーを投げ続けられさえすればすげー楽しいし、満足だし、このうえなく心地の良い贅沢で幸せな時間を味わうことができる。
おそらく、この考えに共感できるアングラーは決して少なくないはずだ(と思う)。
そしてこの場合、我々にとって従来のスポーツよりももっと身近な存在となるため、「釣り=ストレス発散」であると同時に、「釣り=遊戯」と表現することもできるだろう。
※今の文章で単にスポーツではなく「従来の」と付け加えたのは、以下の記事を書く際の調査において「スポーツに対する概念が変わった」ためであり、興味が沸いた方はぜひご一読していただきたい。
「釣り」と「魚釣り」の違い
4つの概念で見えた「釣り」と「魚釣り」の違い
ここまで、4つの釣りの概念をお話しさせていただいたわけだが、ここから話す内容が今回私が最も伝えたいことだ。
それは、「釣り」と「魚釣り」は似て非なるものであり、違うスタンスのものであるということ。
というのも、釣りの概念のひとつめにあげた「釣り=狩猟」という考え方は、魚が釣れてこそ成立する種の釣りであり、同じように「釣り=生き物採集」という概念も魚ありきの釣りである。
つまり、こういった釣りに関しては単に「釣り」と表現するよりも「魚釣り」と表現したほうがより具体性が増し、個々の価値観やアイデンティティをよりリアルに伝えることができるはずだ。
いっぽう、後半にお話しした「釣り=スポーツ」「釣り=ストレス発散」については魚を釣ることが目的ではなく、仮に魚が釣れたとしてもそれはただの結果に過ぎないという価値観の違いがある。
つまり、後者の釣りは釣り場で竿を振ること自体が目的であり、その場に魚が存在しなくても成立してしまうことから、「魚釣り」ではなく「釣り」と表現するほうが自然だと感じる。
釣りに求めるもの
ここで、突然だが質問だ。
「あなたは、釣りに何を求めますか?」
というのも先日、とあるテレビ番組で興味深い題材が扱われていた。
ざっくり解説すると、「日本の釣りという文化は外国人から見たらどう思うのか」という内容で、番組では日本の釣り事情がVTRで紹介された後に、日本人と外国人がディスカッションをして意見を交換しあうというもの。
番組前半、日本でもメジャーな釣り堀や金魚すくいなどのレジャー施設、さらには生け簀(いけす)で釣った魚をその場で食べられる居酒屋などが紹介され、様々な国籍の人たちがこういった日本の釣り文化について自由に意見を述べていく。
「家族でも気軽に楽しめるのが素晴らしい」「駅から近いし手ぶらでも楽しめるのはとても素敵。」といった意見があげられていくいっぽう、こんな意見もあった。
「楽しそうだったけど、自然の中で釣ったほうがもっと楽しいと思うね」
「自然の中で自由に泳いでいる魚を釣るのが楽しいんだ」ニュージーランド・男性
「変だよね。アメリカも人混みから逃れるために釣りに行くんだ」
「だから、ほかの釣り人が来ると「なんだよ」と思って場所を変えるんだ」アメリカ・男性
私は学生時代を東北で過ごし、現在は関東に住んでいるが、関東周辺の漁港で釣りをするときに毎回驚かされることがある。
それは、ずばり「人の多さ」だ。
漁港には車がギッシリと並び、釣り場となる堤防には各々の竿が所狭しと出され、文字通りちょっとしたお祭り状態。
それもそのはず、東北と関東では人口密度が大きく異なるし、「海釣り」というジャンルに限定すると、埼玉、栃木、群馬といった海無し県の人口も含むことができるため、関東の住民1人あたりに与えられる海岸線はわずかなものになるから、この人の多さはなんら不思議ではない。
しかし、サーフというエリアにおいてはこの限りではない。
なぜなら、サーフは広大で一見すると地形の変化も少なく、釣れそうなポイントの見極めが難しい。
そのため、関東近郊でもサーフに限っては、先ほどご紹介したアメリカ人のような「人混みから逃れるために釣りをする人」にとっては最高の環境だ。
昼間の明るい時間帯なら、隣りや背後の人気(ひとけ)をそれほど気にせず、自由に歩き回ってポイントを探すことができる。
ただし、そんな人気のないサーフでもにわかににぎわう時間帯がある。
朝マズメと夕マズメだ。
特に朝マズメの時間帯はどこからともなく多くのアングラーが出現して浜を埋め尽くすが、陽が昇りきったころには私を含めて数えるほどしか残っていない。
そんな彼らと私の使っているタックルや装備は似ているが、その価値観には大きな違いがある。
これが、今回の核となる「釣り」と「魚釣り」の違いだ。
十人十色、百人百色、千人千色。
同じ格好、同じ動きをしていても考え方は人それぞれであり、概念は人の数だけ数多(あまた)存在しているが、「何を求めて釣りをするのか」という問いに対する答えを聞くだけでも、「釣り」と「魚釣り」の違いを知るヒントになるはずだ。
まとめ
「釣り」と「魚釣り」の違いをまとめよう。
- 「釣り=狩猟」「釣り=生き物採集」という概念の釣りは魚がないと成立しないため「魚釣り」
- 「釣り=スポーツ」「釣り=ストレス発散」という概念の釣りは魚がなくても成立するため「釣り」
- 「釣り」に何を求めるのかによって「釣り」と「魚釣り」の違いがわかる
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